2001年のシェンムーIIから18年が経った2019年秋、シェンムーIIIが発売された。
18年前、学生だった私は主人公・涼を応援し、彼の愚直さ、力強さをかっこいいものだと受け止めていた。
また、日々アルバイトしたり、訓練に勤しんだりするゲーム自体の真面目さも好きだった。
続編を待つ間に私は大人になった。
ふと思い出すたびに、シェンムーは道半ばで終わってしまったのだと一抹の寂しさを感じていた。
そこに突然降って湧いたシェンムーIIIの開発情報。4回ほど発売を延期しながらもようやく発売され、手元にソフトが届いたときには感動した。
プレイを始めるまでには少し躊躇もあった。
なぜならシェンムーIIIをプレイすれば、また「次回に続く(The Story Goes On…)」の文字を見ることになるからだ。(プロデューサー鈴木裕は今回も完結しないと言っていた)
発売から約半月置いて、ついにプレイすることにした。感想をこの記事でまとめたい。
ストーリー
ストーリーの内容よりも、そのスピード感が不満だった。
ゴロツキのボスを倒すための準備に時間がかかるし、何をするにもまず金策が必要となる。
シェンムーIIIではその時間が長かった。
これを作業と感じるか、リアリティだと感じるか。
私は今回ばかりは、リアリティよりも作業という印象を受けた。それは、ストーリー自体が盛り上がりに欠けたからだ。
地道な作業も要所要所でスペクタクルなドラマがあれば盛り上がるのだが、ストーリーが盛り上がったのは、結末近くの古城に上陸した辺りだけだったと感じる。
なぜ、ストーリーが盛り上がらなかったのだろうか。
魅力的ではなかった中ボスたち
まず、新キャラの中ボスたちが魅力的ではなかった。
歴代作品に登場した中ボスたちはみな個性的だった。
怪しさ満点のチャイ、中性的なユアン、圧倒的な腕力と強欲さを見せた斗牛など一度見たら忘れないキャラクターだ。
シェンムーIIIでの中ボス的は顔狼、革の2人だが、どちらも強烈なインパクトはなかった。(革は範馬勇次郎っぽいので覚えたが……)
彼らは今までのキャラクターと比較すると、執着心に欠けているのだと思う。だからいまいち涼に対して甘く、倒そうとする本気度が低かった。
一方で、紅一点、鳥隼が目立った。
初登場では淑やかな美人と見せかけてからの、蚩尤門幹部というギャップもあった。
しかし、それよりも際立っていたのは、目的のためには手段を選ばない鳥隼の意志の強さだ。
鳳凰鏡を手に入れるために涼の様子を窺う、一番の急所である莎花をさらう。
藍帝を葬るために残月城に火計を仕掛けるなど、大胆な手段で勝ちを取りに行った。その強さがキャラクターを引き立たせているのだ。
理不尽な敗北
私が一番がっかりしたのが、バトルで強制的に負け扱いにされるストーリー展開だ。
しかもこの展開が多い。
白鹿村ではゴロツキのボス・顔狼とのバトルが3回あり、最初の2回は、涼がバトルに勝ったとしてもストーリー上負けたことにされる。
さらにこの強制敗北は、鳥舞でのレッドスネークのボス・革とのバトルでも同様だ。
おっしゃー!勝ったー!と思ったところで結局負けるのであれば、バトルをする必要がない。
そして何より、今勝った事実を曲げてストーリーが進むことに納得がいかないのだ。
涼が負ける流れならばムービーにするなど、プレイヤー側が納得できる設定にしてほしかった。
おなじみのキャラクターたちに会うとときめく
ストーリーすべてに不満かと言うとそうではない。
過去シリーズのキャラクターが登場すると、気持ちがときめいた。
冒頭からチャイの影が見えれば、今回もあいつに見られているのかと盛り上がるし、チャイの怪しさ・狡猾さはストーリーに変化を与えている。
さらに鳥舞でのレンとの思わぬ再会には、離れ離れになった戦友を見つけたかのような安心感を得た。
そして藍帝の孤高な佇まい。今回も涼は全く相手にならず、まだ強くならなければ勝てないんだと打ちのめされ、次ではもっと!と奮起する気持ちも生まれる。
宿敵らしい宿敵はストーリーが盛り上がる上では欠かせないエッセンスだ。
システム面の変化
シェンムーIIIでは、体力・食事・服の着替えなど、ユーザーインターフェースの変更があった。
新たな部分がどうだったかも考えてみたい。
体力と食事
まず大きく変わったのが体力と食事のシステムだ。
涼はじっとしていても時間の経過とともに体力が減っていく。それを賄うには食事をする必要がある。
このシステムは正直うっとうしかった。
走るとすぐに体力が減ってしまうため、移動の多くは歩きになってしまう。
誰かを助けないと!というストーリー展開でも体力温存のため、歩いて向かうことになる。
もちろん体力を犠牲にして走ればいいのだが、体力回復のために食事をしなきゃと思いながらプレイしていたのでは、感情移入もできない。
リアリティを追求するために、かえってストーリー上のリアリティを失ってしまっている。
食事もりんごやバナナは分かるが、キャベツを1玉買ってそのまま食べるとか、一番回復効果があるのは冬虫夏草という薬草で、これもそのまま食べるとか食事自体にリアリティがない。
ここはもう少しリアルにしてほしい。
(その反面、鳥舞の屋台で串物を買って食べるのは美味しそうで、つい買ってしまう)
涼の着替え
今まで革ジャン、白Tシャツで過ごしてきた涼だが、シェンムーIIIから衣装が変更できるようになった。
このシステムは、私には不要だった。
いまいち似合わないスカジャンや、やけにヴィヴィッドなTシャツなど首をかしげる衣装が多い。
涼にはいつもの革ジャンに白Tシャツ、デニムで生き抜いて欲しい。それでこそ涼なのだ。
わかりやすい修行
シェンムーIIIですごく良かったのが修行システム。
散打で攻撃力、木人で体力を上げて、クンフーを高める。
涼のレベルが分かりやすいし、攻撃力はバトルに直結する。体力はバトル以外の日常にも影響する。
木人での修行は単調だが、効果が分かりやすいので無心でプレイしてしまい、気がついたらかなり時間が経っていた。熱中度の高い修行だった。
気が利いたリプレイ性
細かい部分だが、グルッパ(ガチャポン)を何度もプレイする時の快適さも素晴らしかった。
1度引くと、続けて引く選択肢が出てサクサク進むのでグルッパを繰り返し引く時のストレスがあまりない。
その一方で目当ての景品が出ないのにはストレスがあるが、これは現実でも同じことなので割り切れた。
アルバイト
シェンムーといえばアルバイトがつきものだ。
シェンムーI横須賀でのフォークリスト、シェンムーII湾仔での荷物運びなど、これまでも涼の生活費は自力で賄ってきた。(稲さんからお小遣いをもらっていたが……)
フォークリスト
シェンムーIIIではファンに人気だったフォークリストが復活。
シェンムーIで運べるものは箱だけだったが、今回はゲーム筐体など荷物のバリエーションが増えた。
ただ残念なのは毎回コースが同じで、単調なこと。
横須賀では荷物を出し入れする倉庫やルートも変わっていたのが、単調さを感じさせなかった。
せめてルートだけでも変わるとより楽しめたと思う。
しかし、フォークリストに乗って働けるだけでもうれしい。
あの横須賀での日々を思い出し、ノスタルジーに浸れるのは最高なのだ。
薪割り
白鹿村での主な収入源、薪割り。
薪割りは単純な作業ながら、上手く割れると音楽が変化したり、なるべく飽きないように工夫がされていた。
もちろん飽きはくるのだが、体を動かして稼いでいるという妙な実感が湧いて、楽しめた。
陶陶特価と望洛台で音楽が違うのも良かった。
もっともフォークリストが登場した鳥舞ではほとんどやらなくなってしまったが……。
アヒル捕獲
私がいまいちハマらなかったのが、鴨子天国で行うアヒル捕獲だ。
QTEが苦手なので失敗しやすいし、稼げる金額も少ないので、フォークと薪割りがある鳥舞での優先順位は低かった。
街並みと人々
シェンムーの特徴といえば、再現された横須賀のドブ板や異国情緒あふれる湾仔、怪しさ満点の九龍城などの舞台。
そしてその土地に生きる人々だ。
プレイヤーが世界に入り込める舞台
シェンムーIIIで登場する舞台は白鹿村と鳥舞だが、そのどちらも素晴らしかった。
白鹿村
白鹿村は田舎の村らしく、牧歌的な雰囲気だ。
薪割りしたり、歩きまわって生薬を集めたり、村人たちと他愛もない会話を楽しんだりと、時間を忘れた。
自然のなかを歩き、心が浄化されるような気持ちになる。
映像の綺麗さで言えば、シェンムーよりもすぐれたゲームはたくさんあるが、オリエンタルな雰囲気の良さ、景色の美しさはシェンムーシリーズならではのものだ。
鳥舞
のどかな白鹿村から鳥舞に着いたときは、急に大都市に来たような気持ちになった。
船を降りてすぐ活気のある屋台が並び、涼が滞在した鳥舞旅社はかなり大きなホテルだ。
夜に幻想的な雰囲気を感じる鵜飼いの様子も魅力的だった。
名店街から入るローズガーデンは、薄暗い賭場の危険な雰囲気を楽しめるし、屋台街の賑やかさにも楽しい旅情を感じる。
とても面白く、白鹿村とは違った趣きがある町だ。
生き生きとしている人々
シェンムーのNPC、いわゆる村人たちはそれぞれの人生を生きている。
朝起きて出勤し働いて帰る。ストーリーに影響を与えることもなく、プレイヤーがあえて話しかけなければ言葉も発しない人々でもこの世界では確かに生きているのだ。
一つ残念だったのが、ストーリー上で金策が必要になったときに、町の人や莎花までもが不自然に占いの話を持ち出してくるところだ。
ユーザーへの配慮だと思うが、そのために人々からリアリティを奪ってしまった。
本来の莎花は露骨に賭場を勧めてきたりはしないし、歩いてるだけで突然いろんな人の占いの話を聞かされるので、世界観が壊れてしまうように感じた。
しかし、気になったのはそれぐらいだ。
名店街では気弱なおじさんもいるし、逆に気の強いおばさんもいた。仏具屋たちはうちの仏像が一番だと他の店の批判をしていたりとそれぞれ人間味がある。
シェンムーIIで一緒に働いた徳林さんの兄弟に会ったときには、知らない町で知り合いに会えた実感が湧き、すごく安心感があった。
キーパーソンである貝老師も、シェンムーIIの秀瑛さんのような芯の強さと懐の深さを感じる、尊敬できる達人だった。
この世界で出会った多くが魅力的な人たちだったのが嬉しかった。(前述の中ボスたちは……)
ファン向けの小ネタ
フォークリストのアルバイトと同じく、ファン向けの小ネタが仕込まれているのも面白かった。
探索中の小ネタ
シェンムーIIIでは室内を探索するパートがあるが、そのなかにも小ネタが仕込まれている。
満願寺ではセガサターンがあるし、終盤の緊迫した古城での探索中に尼僧Fanが出てきたりと仕込まれる小ネタも様々だった。
私が特に好きなのがチャイの部屋。
「功到自然成」(なすべきことをなせば成功する)が貼ってあったり、服がかかっていたり、木人に涼の写真が貼ってあったり、自分のポスターが貼ってあったりと面白いポイントが盛りだくさんだった。
特にみんながチャイ顔になっている家族写真(?)が最高だ。
シェンムーIでの初対面では、さんざん邪魔してくる気味の悪いやつという印象だったが、私の中ではもはや愛すべきキャラクターになりつつある。
店舗の商品にも面白いネタ
新天地にある銀幕照片にも小ネタがある。
ネーミングと写真のセンスが秀逸で、「ネクタイの男」はシェンムーIIで登場した朱元達の側近・張さんで説明書きに「いかにも人が良さそう」と書かれていたのが面白い。
そして「スキンヘッドの男」と題されたのはシェンムーIIで登場した九龍城を仕切る黄天会のボス・斗牛だ。
いかにも極悪そうな顔で写っているのがまた良い。
おわりに
いろいろと書き連ねてきたが、シェンムーシリーズのファンである以上は、長年待ちに待った続編が発売されただけで評価は満点だ。
シェンムーIIIでシリーズを初めてプレイする人にとって、グラフィックは少々物足りないかもしれない。
それはなぜか。シェンムーは町の佇まいやそこに生きる人々の生活にこそ、リアリティにグラフィック以上の美しさを求めたゲームだからだ。
シェンムーI、IIはPS4で発売されているので、わざわざドリームキャストを引っ張り出してくる必要もなくなった。
以前よりもプレイしやすい環境である今、新たにゲームの本当の美しさを体験するためにシェンムーIから続けてプレイしてみて欲しい。
きっとシェンムーの空気感が好きになるはずだ。
往年のファンはなにも言わなくても買っているに違いないので、言及する必要はないだろう……。
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